1度も外の光を浴びたことのない人間はまずいない。
風を感じ、雨の冷たさを知らない人間はまずいない。
だが――知らない人間がいた。光の暖かさを知らず、
風の心地よさ、冷たさを肌で感じる事ができず、
雨の静けさを知らない人間がいた。
その人間の名前はクリア=レインボー。
レインボー王国の王子になる筈だった少年。
今日の天気は雨だと剣に聞いた。クリアは晴れている様子を
文献と剣や自分の妹であるミルキィ、そして国王であり父でもある
マグナムからしか聞いたことはない。晴れ、といわれてもクリアには
断片的な情報を組み込んで想像する。その想像は多分実際の
雨、とは違うものだろう。
「最近は雨ばかりだな。」
「雨――ああ、水の粒が空から落ちてくるんだよね。」
冷たそうだねぇ、などとのん気にクリアは言う。その声は剣に
重く圧し掛かる。
「だから最近地下室も冷えてるんだね。」
クリアが事実軟禁されているこの地下室は雨のせいなのか冷えていた。
特別冷暖房は必要ないが少し肌寒かったのは否めない。
剣もそのことを察してたのか持ってきた食事は温かいものを用意した。
国王に雇われているコックには頼まず自分で作り、用意する。最初の
ほうは粗末な出来であったが段々と作るうちに色々料理の幅ができた。
「今日のも美味しい。剣って料理上手だよね〜。」
いつも貰うその言葉。その何気ない感想は剣にとっては喜びだった。
――決して表には出さないが。
「剣の料理が一番美味しいかな。ミルキィの場合時々失敗してビーフ
シチューの中に唐辛子が入ってる時も多いし。」
何処をどうしたらシチューの中に唐辛子が入るのか――今度
ミルキィ王女に料理を教えなければ。
「ごちそうさまでした。」
スプーンをトレイに置く。
「今度は何がいい?」
次のメニューを問う。持ってくるのは仕事の関係で8時以降になりそうだ、と
付け加え。クリアは和食、とジャンルのみを指定した。
「あのさ。」
「何だ?」
「今度、料理の本持ってきてほしいな。古書も読み飽きちゃったし。」
何度も読んだ古い文献が机に乗っている。最後に持ってきたが2週間前。
剣がマグナムの命令で他国に行っている時、ミルキィが持ってきた
数十冊の分厚い本。
「料理の本なんていいかも。」
「分かった。――なるべく、沢山持ってくる。」
「うん。お願いね。」
飽きさせないように沢山、分厚くて読み応えのある本を持ってこよう。そうすれば
クリアも飽きない筈だ。――この地下室から一生出ることのないクリアに対して
世界を教えさせる方法の1つであるから。
「それと……ミルキィに会ったらこう言って。」
最近雨が降っているらしいから風邪には気をつけて、と。
地下室を出て行った後、近くにいた国王から召集命令が来たと聞いた。今から
1時間後に王の間へ着てほしい、とのこと。その間資料室にでも行き料理の本を
探すことにする。1時間では到底大きな資料室を1人で網羅することは不可能に
近い。探すだけ探してみよう、と剣は資料室へ足を進めた。
資料室へはよく入り浸るので大体何処に何のジャンルがあるかは分かっている。
目的地に着いたと思った矢先、近くに自分の姉、伊月とミルキィ王女が
喋っていた。
「お、剣。」
「剣さん!こんにちわ。」
「姉上……それにミルキィ王女。」
女性は苦手だ。姉のような人間ならまだいい。ミルキィは幼い時からよく喋っているので
軽い会話程度ならできる。だが最近ミルキィは自分と会っただけで随分驚いている。
時々言葉に詰まったり、顔をよく赤くする。嫌われているのかもしれない。剣は
一時期思ったが今ではクリアの報告が聞けて嬉しいのだと解釈している。
それと姉である伊月に言うとすぐさま相手は間抜けな声を出し、その後小10分の間
笑っていた。
「あの、クリアの様子はどうでした?」
「最近雨が多いから風邪に気をつけろと言っていました。」
簡潔に述べる。
「風邪ねぇ。この間までインフルエンザにかかってましたよね。1週間ほどベットに篭って。」
「その事でしょうね。ミルキィ王女がかかっている時に言ったら相当慌ててましたよ。」
クリアってば――と呆れの中に嬉しさを込めた言葉でミルキィは呟いた。
「しかしクリア王子って一体どんな子なんだか。剣、今度写真で取ってきてよ。」
「使い捨てカメラさえ用意してくれば取ってきてもいいですよ。現像代とカメラ代と人件費さえ
用意してくれればいくらでも。」
「はっ、姉相手に言ってくれるよ。」
「――いいですよね。」
ミルキィのか細い声が軽口を叩き合う2人の耳に入る。
「姉弟って、いいなぁって思って。」
その言葉に2人は口を閉ざした。剣のほうは何か言おうとしたのだが、姉が睨みで止めた。
ミルキィは無言のやり取りに気付いていたのか、それとも気付いていないのか話し始める。
「私もクリアとは双子ながらも兄妹です。」
数秒だけミルキィの言葉が途切れる。
「でも私たちは普通の兄妹ではありません。王族、それもあります。でも――」
ミルキィはきっぱり、何処か諦めを帯びた口調で言った。
「兄妹と言う枠組みで括られた、血の繋がりを持つ他人同士です。」
それを実際クリアが聞いていたらショックを受けていただろう。剣はその事に
感謝した。
「ごめんなさい!私、クリアに対して相当失礼なこと言っちゃった……。」
ミルキィは後ずさるようにその場を去っていく。2人は後姿を見ていた。
「あのさ、剣。」
「何でしょう。」
「国王は何を考えているんだろうね。」
「――この国にとって最良の選択、だといいですね。」
「最良の選択、ねぇ。兄と妹を引き離し、兄を事実俗世から隔離しているのが
最良の選択だなんて笑っちゃうね。」
事実笑いたい気分だった。国民はこのことを知らない。ミルキィとクリアを出産時に
女王は事切れ、マグナムは何を思ったのかクリアを俗世から切り離しこうして
軟禁状態に置いている。だがクリアを虐待しているわけではなく寧ろ可愛がっているのだ。
「時間をかなり潰してしまった。」
「ん?」
「マグナム王から招集がきました。」
「そうかい、行っておいで。」
言われなくても分かっているのだが、言われると少し嬉しい。
剣は踵を返し、来た道をまた歩く。黒色で艶のある長い黒髪を棚引かせて。
王の間に入ってきた時、最初に目に飛び込んだのは赤い絨毯であった。何でもエミリア・エスコリアルで
購入した物らしく、大金を叩いて購入したそうだ。その大金はマグナムにとっては少し
高かった、程度。
マグナムの周りには護衛はいない。滅多なことではつけないのだ。彼に叶う人間は無に等しい。
剣の知る限りでは。
「剣。」
名前を呼ばれるだけでも圧倒的な力を感じる。
「忙しい所呼び出して悪かったな。」
「いえ、構いません。」
「そうか――今回お前を呼んだ理由は他でもない。この手紙を渡してほしいのだ。」
マグナムは王座から立ち上がり、跪く剣の前へと向う。
「この手紙は隣国エミリア・エスコリアルの王子、マオン=G=エスコリアルの側近であるイリーヤ=ボイスに
渡してほしく、お前を呼び出した。」
「イリーヤ=ボイス?」
左様、とマグナムは話を続ける。イリーヤ=ボイスは幼いなりに冷静沈着、文具両道、成績優秀と
内面に関してはほぼ非の打ち所のない少女だ。剣も噂程度なら聞いたことがある。勘がやけに鋭く、
あの歳にして何かを悟った口調で喋る少女のことを。
マグナム曰く、話が通じる相手、だと言うなり明日の夜8時に出発してくれ、と言うなり剣に退出命令を出す。
剣は一礼すると王座を後にした。
――伊月やクリアに出張命令が出たので報告しなければ。それと、料理の本を集めなければ。
今日も彼の睡眠時間は幾分か減りそうだった。